謎のユダヤ人国家、ハザール帝国 1

 おそらくハザール帝国について詳しく知っている人はそう多くないだろう。それもそのはずで、世界史の教科書には登場しない上にそもそも我が国の学習指導要領では存在しないものとして扱われているからだ。また、辞書で調べても広辞苑・明鏡国語辞典には記述がなく、ブリタニカ国際大百科事典にはハザール族についての記述がわずかに乗るばかりである。そこで今回はこの謎に満ちたハザール帝国について書いていこうと思う。

   ↑ これがハザール帝国の最大領土である、見てもらえばわかると思うがかなり大きな帝国だ


 まず、ハザール帝国を建設した民族であるハザール族についてだが、『旧唐書』・『新唐書』に突厥可薩部と記載があったり、ペルシアの地理書『世界境域誌』より突厥の子孫ではないかと考えられているが詳しくは分かっていおらず、その民族的起源や系統もはっきりとしていない。

 ハザール帝国について初めて詳しく記したのは、イブンファドラーン著『ヴォルガ・ブルガール紀行』であり、以降はそれに乗っ取って帝国の歴史を書いていこうと思う。

1、帝国の黎明期

 627年、ビザンティン帝国と結んだハザール族はペルシア遠征を敢行、四万人の軍隊でペルシアの首都クテシフォンへ迫った(ビザンティン・ササン戦争)。その後、突厥の崩壊に乗じて西突厥の正当な後継者を宣言しハザール・可汗国として初の独立国を建設する。その後の勢力の拡大は著しく、大ブルガリアを崩壊させ黒ブルガリアを獲得、さらに、黒海北沿岸北岸・クリミアの大部分を攻略し、帝国の母体となった。

  ーー出典ーー

 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fha100.html#01 山川出版 『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』P,166~P,169

世界史の小話など

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